STORY 03

宮崎県 ProActive開発プロジェクト

地元で働ける開発環境を作り上げよ

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PROLOGUE

ProActive(プロアクティブ)は、SCSKグループが開発した国産初のERPパッケージである。ERPとは、Enterprise(企業)Resource(資源)Planning(計画)の略。企業の経営資源を一元的に管理し、経営の効率化を図る手法のことをいう。ProActiveはERPをサポートするシステムとして誕生。約30年間で6600社、300グループ以上に導入され、会計、人事給与、経費・勤怠管理といった、企業活動の基幹業務を支えてきた。
そんなSCSKグループの代表的製品の保守・開発を担っているのが、私たちSCSKニアショアシステムズ。そして今も、ProActiveは進化を続けている。全国各地の拠点で活躍するエンジニアたちの手で―。

#01地域エンジニアたちの悲願。

東京の案件を、地元で開発する―。このビジネスモデルは、実は宮崎から、そして、ProActiveから始まった。 宮崎開発センターが、ProActiveの開発に参画したのは、2007年。15年を超える歩みの中で領域は広がり、今や宮崎のエンジニア約200名のうち、半分の100名がProActiveチームに所属し、会計、販売、勤怠領域の開発と保守に取り組んでいる。
もともとは、東京のSCSKが一手に行っていたProActive開発の一角を、宮崎で担うようになった背景には、宮崎側の切実な悩みがあった。
「それまではみんな、宮崎に所属していても、仕事は出張ばかりだったんです。お客様は全部、東京にいましたからね。だからいつか宮崎へ仕事を持ち帰って、宮崎で仕事ができるようになりたい。それが宮崎のエンジニアの願いだったんですよ」
現在、宮崎で第一開発部の部長を務める黒木敬寛(取材当時47歳)はそう振り返る。
チャンスは訪れた。

ProActiveに販売管理の機能を新たに加えることになり、グループ内で「開発をやるところはないか?」と募集があったのだ。そこで手を挙げたのが、宮崎開発部だった。
「このプロジェクトを受ければ、宮崎で開発の仕事ができるかもしれない」
そう期待しての立候補。
だが、現実は甘くなかった。

#02決意のシフトチェンジ。

ひとことで「開発」といっても、いろいろな種類がある。当時、宮崎で受けたのは、「導入開発」の仕事だった。お客様企業にProActiveを導入するための開発である。導入にあたっては、ProActiveをその会社の業務にあうようにカスタマイズしなければならない。そのためには、当時はどうしても、お客様のもとへ通う必要があった。
結局、エンジニアたちは、以前と同じように、東京への長期出張を余儀なくされた。若き日の黒木もその一人だった。「1年のうち、10か月は出張していました。でも当時はそれが当たり前。長いときは1年間、東京に行っていたこともあります」

しかし、宮崎のメンバーはあきらめなかった。
「宮崎で、仕事がしたい」
悲願とも思えるこの思いを実現するために、会社が生きていくために業務領域を変えた。
それまでの「導入開発」から、製品そのものの開発を担う「製品開発」や、電話やメールでも対応可能な「ユーザー保守」へのシフトチェンジを、SCSKに願い出たのだ。
その訴えを、SCSKも受け入れた。ちょうどそのとき、SCSKが東京の仕事を少しずつ地方に委譲していこうというタイミングだったことも幸いした。黒木は振り返る。
「忘れもしません。2016年の10月。SCSKのトップが、それらの仕事を宮崎に任せると宣言してくれたんです。うれしかったですねぇ。これでようやく、地元で働けると思いました。でも、宮崎の社員たちは半信半疑でしたよ。本当にそんなことができるのか?って」

無理もなかった。東京の仕事を、宮崎のエンジニアが、宮崎で行う。当時の業界では画期的なことだったのだから。
だが東京側もその必要性を強く感じていた。ProActiveを拡大していくためには、東京のエンジニアだけでは、人手が足りない。地方の人材育成が不可欠だったのだ。
さらに、このシフトチェンジが実現したもう1つのポイントは、「それがProActiveだったこと」だと黒木は指摘する。
「ProActiveは、SCSKの自社製品です。最初から最後まで、SCSKグループ内でやることにこだわっていた。ProActiveだったからこそ、宮崎で受けることができたんだと思います」

もちろん、その挑戦は、原野に道を拓くような苦労の連続でもあった。
現在のようにオンライン技術が進んでいないなか、地方と東京のエンジニアがお互いに開発できる環境づくりを模索。一方、ProActiveを開発するためには、システムの知識だけではなく、企業の実務や法律への対応といった知識も必要になる。東京から宮崎へエンジニアを招き、新たな知識やノウハウを1から学んでいった。また、ユーザー保守業務を行うためには、宮崎開発センターだけでは人材が足りないため、地元に社外のパートナーを開拓。そうして少しずつ、ニアショアの原型ともいえるプロジェクトは、軌道に乗っていった。

#03地元で成長できる幸せ。

その挑戦は、人材採用にも効果を発揮した。それまでは、地元の学校でITを学んでも、東京や大阪で就職するのが当たり前。その流れに、変化が起きた。地元のIT人材たちが、当社の門をたたいてくれるようになったのだ。

その1人が、2018年に新卒で入社した足利隆行(取材当時28歳)だった。
「僕は県外の国立大学でITの勉強をしていました。でも、就職では宮崎に戻りたいと思っていたんです。この会社は、地元で規模の大きいITの仕事ができるという点が大きな魅力でした」
そう振り返る足利は、現在入社5年目。現在は「基盤」と呼ばれる業務を担当している。開発の根幹となる環境づくりやマニュアルづくりを担う、宮崎にしかないチームだ。
「僕は主に、システム共通の部品であるAPI(Application Programming Interface)を供給する役割を担当しています。システムを動かす根幹の1つなので、コンピュータの仕組みや、言語、仕様の深いところを知っておかないといけない。JAVAでコーディングする時も、高い精度が求められます。難しい仕事ですが、技術がすごく身に着くのを感じます。1から作る仕事でもあるので、やりがいも大きいです」と足利。

仕事の環境も、入社前のイメージを超えていたそうだ。
「宮崎という地方ですから、もっとこぢんまりしたチームでやるのだろうと思っていたんですが(笑)、ProActiveにはとてもたくさんの人が関わっているので驚きました。拠点を超えて仕事をすることも多いので、技術だけじゃなく、コミュニケーションのスキルも学べる。そこもProActiveの魅力だと思います」

#04ともに作り、ともに成長する。

3か月に1度は、全国のProActive担当者がオンラインでつながり、それぞれの業務や課題について情報交換する会議も開催されている。「ProActive情報連絡会」だ。
さらに、各拠点のリーダーたちは、いずれかの拠点に定期的に集合し、直接話し合う場も設けている。黒木はその意義をこう話す。
「オンラインでは普段から話していますが、直接会ってコミュニケーションする機会はなかなかありません。だからとても貴重な場なんです。直接会って話すことで、その後のコミュニケーションも楽になるんですよ。『聞きにくい』ということがなくなるし、『困ってます』と、どこかの拠点が言えば、じゃあうちが手伝うよ、という声が上がったりもする。会議の場所は持ち回りなので、次は石川で行われます。皆さんに会えるのを、とても楽しみにしているんです」

地域エンジニアのスキルアップと連携に大きく貢献してきたProActiveについて、今また、大きな目標が掲げられているという。それは、社内のProActive開発・保守チームを、2030年までに500名体制にすること。今の倍近い規模だ。
「ProActiveは、お客様企業が成長するためのシステムなんです。ProActiveを拡大させていくことで、お客様といっしょに、我々ももっと成長していきたい。そう思っています」
そして今日も、エンジニアたちの挑戦は続いていく。

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